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初七日 [なんちゃって介護]

23日の夕食まではそれでも口から食事を飲み込んでいた父の鼓動が一度止まって、
看護師ヘルパーそして当直医の手で息を吹き返し、
「とりあえず安定しているように思われる」状態の父を置いて、
明日から長期戦になるならと母と私は体力温存のつもりで帰宅した。それが午後8時過ぎ。

東京の弟にはすぐには連絡がつかず、京都の弟へ母が電話を入れると
「そんな悪いのならもっと早く知らせてくれ」「土曜日に行くから」と。
寝るまでに京都の弟が帰省すると使う部屋で散らかしっぱなしの私の衣服を片付けて、
のびのびにしていた衣替え作業を済ませて、12時頃に就寝。
そして寝入った頃の1時過ぎ、電話が鳴った。受話器をとったのは母で、
病院からの呼び出し。また容態が悪いという連絡で、
着替えて諸々の荷物を積んで、私の運転で病院へ。
病室に着くと、夕刻に繰り広げられたのと同じ光景が目の前にあって、
違ったのは、私たちが着くまで心臓マッサージをしていた当直医が
私たちの到着と共にマッサージの手を止めたこと。

夜12時頃の様子見の時点では「安定」していたそうだ。
その後、1時頃「眠っているように」また心停止していたのをどうにかこうにか、
私と母が到着するまでは、という処置だったらしい。

「こんなんやったら待っといたったらよかったなあ。ごめんなあ」と母。
まだ暖かい父の腕をなでながら私の口をついて出たのは「よかったな、よかったなあ」。

父はボケて尚、自分が死ぬのを怖がっていた。
自分が「死んでしまう」とポロポロ泣いたことすらあった。
父のそんなアカンタレな心がけ以前に、
父の病んでいる肝臓は、死に際にとんだ悪さをするともっぱらの話で、
曰く、突然バケツ一杯の血を吐く、脳がやられてそりゃもう苦しむ、痛がる、暴れる、
死ぬ時はそうした儀式を免れないよ、と。

もう元気になる日は来ないのかと覚悟したときから私の望みは
なるべく機嫌よく痛くないように苦しまないように楽しく日々を過ごして欲しかっただけで、
そしていずれ絶対に来る最期は朝、起こしに行ったらお亡くなりになってたんです、と、
そういうような最期が来るようにとだけ祈ってきた。
母と二人この家で、いつもそんな話をしていた。

春が来る前に「あと2ヵ月」の宣告を受けた直後に誤飲性肺炎で危篤状態に陥ったものの、
そのときは主治医の予想を覆す回復ぶりを見せ、一旦は禁じられた飲食も元のとおり
「何でも好きなものを食べてください」の日々に戻った。
そして安定した病状の患者としてより密なケアを受けられる介護病棟へ移った。

ヘルパーさんの介護の手が多い介護病棟での日々は、
あの危篤状態があったことも、それ以前のひどい鬱状態があったことも嘘のように、
病状も安定していれば精神状態もずいぶん落ち着いて過ごせたと思う。
その合間合間に高熱が出たりはしょっちゅうで、
腹水が恐ろしく溜まってむくみがひどいことになったりもしたが、
あの腹水はある時期急に薬が効いてキレイに抜け去った。
肝硬変も肝臓の癌もどっか行っちゃったかなあ、とさえ錯覚していた。
元々丈夫な人だもの、肝臓1個悪いくらい、丈夫な心臓でまかなえるのかも。
そんな幻想さえ抱かせる「安定」ぶりだった。美味しいものなら何でも喜んだ。
父は昨年癌の再発が判明した時分に背骨が痛いと訴え、
それを理由に歩かないうちに本当に歩けなくなっていてすっかり寝付いていたものの、
自力で横向きになったりの寝返りは打てたので褥瘡(じょくそう・床ずれ)は殆どできず、
また、寝たきりであることは
付添い人の「付き添い甲斐」…車椅子を押してのお散歩、とか…を半減させるものの、
肝臓が悪い患者にとってはむしろ歩けなくて寝たきりであることは
肝臓を休めるよい理由になったのじゃないかとも思う。

苦しくない最期を望んでいた私のために私の目の前で心臓を止めてみてくれたんかなあ。
その後、看護師さんらが必死で声かけして呼び覚まそうとしてた時、私が本当は
「もう起こさんといたっても」と戸惑っていたのは父にはばれてたかなあ。
だって、ほんまに食後に眠くなって寝ちゃったというふうにしか見えなかったし。
あんな穏やかな死。ゆっくり寝かしたって、と思ったのは仕方無いな。
でもその時は程なく心臓がコトコト動き出してもう落ち着きそうと言われて
それはそれですごく嬉しかったんだけどなあ。あれ、ホンマはもうしんどかったん?
やっぱり寝かしといたったほうが親切やったんかなあ。
ごめんな、2回も心臓止めさせて。でも2回目も眠るようだったと、病院の人が言ってたし。
夕方に私に見せてくれたのと同じようだったと、一回見せてもらったからこそ信じられる。
「眠るように」死ぬ人の話を私は少しウソの混じった遺族への慰めと思ってきたけど、
そういうことは本当に起きるのだ。呼吸してる続きの深い眠りの更に続きに死があって、
死が突然やってきたわけでも何でもなく、元からそこにある、と。そんなふうな眠り方。
臨終の時刻は24日の午前1時44分だった。
でも本当はきっと、23日のあの夕食の時にさよならしてたんだなと思う。

弟達にも連絡した。京都の弟はすぐに電話が繋がった、ガッカリしたろうが声は冷静だった。
東京の弟は電話に出ない。彼は携帯電話を持たないし、家の電話を放り出して寝てるか、
最悪だと出張中かも。留守電に吹き込み、メールを打っておく。
死に化粧をしてもらって葬儀屋さんを呼んでもらって、父を帰宅させた。
深夜の住宅街、道路は私の運転するウチの車と、父を乗せた葬儀屋さんの車だけ。
道路から我が家の玄関までにある急な階段は男手が複数ないと病人1人運ぶのには難渋する。
この階段の所為もあって、
1年に及ぶ寝たきりの入院生活で父を外泊させたのは今年の正月一回きりだった。
そんな階段を上るのに葬儀屋さんは1人だったので「男の方は?」と不安そうに訊くが、
京都や東京からの弟らの帰宅を待つわけにも行くまいに。
葬儀屋さん1人と私と母とで父を乗せた担架を担ぎ上げて上りきった。
ガタガタ揺らしたところでもう父は怖がらないから、平気。
一段落ついた後は
車を運転する必要もある私は寝られる時間は無理してでも寝たりもしていた。

夜が明けて葬儀屋さんと本格的な打ち合わせをして、東京の弟から帰ると電話が入って、
親戚ほかに訃報を知らせ、弟達が帰ってきて、
お通夜の時刻にピッタリあわせるかのように列車が不通になったりはしたし、
父の高校時代の友人グループには連絡がつかなくてやむを得ず、
ということなどはあったが、
概ね無難に一連の行事は進行し、葬儀も終了した。
ずっと案じていたほど「タイヘン」なことは無かった。葬儀屋さんが仕切ってくれるもの。
弟たちも予想していたよりうんと大人でいろいろ対応できるようになっているし、
もとより大して交友の広いタチではない父の葬儀は呼ぶ人も大して無く、
それでも大学の友達だった人や会社の同期だった方々が遠方からわざわざ列席してくださった。
父が勤めていた会社名義で花も弔電も届いた。
弟たちの勤め先からも同様に礼を尽くして頂けた。
ありがたいことだ。

臨終の時刻は24日(木)の午前、になるのだが
七日ごとの法要は23日(水)を1日めと数えるのか、
火曜日ごとで行うことになるのだとか。
いまどきの簡略化で初七日の法要まで葬儀の日にいっぺんに終わらせてしまったが、
今日が本当の初七日にあたる。
まだまだ父が1人死んだあとの始末に追われてる。私は幸い無職だ、
ゆっくり片付けさせて貰っている。


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眠るように [なんちゃって介護]

24日午前1時44分、
それまで心臓マッサージをしていた当直医が手を止めて
経過を説明しながら臨終の時刻を告げた。
母は「泣かんでも」と言ったが
悲しくて泣くというのでも無し。
まだあたたかい父の腕をさすりながら私の口から出ていた言葉は
「よかったな、よかったな」だった。

予想出来る限りの最悪の事態を軒並み擦り抜けて
生きた長さ以外では大往生と言っていい眠るがごとき最期。
吸う、吐く、吸う、止まる。
終わりの無いものは存在しない。お父さん、上手に止めたねえ。
すごいよ。
多分、大往生なのだと思う。


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心停止 [なんちゃって介護]

父の容態が思わしくないと今まで居た病室から
そういう医療的に手のかかる患者用の病室に移動したのが昨日のこと。
容態といっても、もとより末期の肝臓癌をもっているので
容態急変はどんなタイミングで起きても「しょうがないな」というのが本当の話。
とは言え夜毎に発熱しては翌朝には下がるという症状を繰り返したり、
喉のあたりや右の耳下腺(耳の下)を痛いと訴え、目に見えて食欲が減り、
腕を上げるのも大儀そうで月曜の朝には周囲が是非にと薦める中で入浴
父はしんどいからイヤだと断わった。
喉が痛い所為か或いは脳の状態の悪化の所為か、言葉を発することもガタリと減っていて、
痴呆が進む時なのかとあきらめもした。

それまで一応は自分で食事ができたものを、箸ひとつ自分で持つことをしなくなり、
入れ歯を入れるのも嫌がったり、あるいは歯の入れ方を忘れているらしい風がうかがえ、
それでも「食べる」ことへの興味は全く失くしたわけでも無さそうで、
ただ、噛みたい食べたいの欲求に口に食べ物を入れてみても思ったように噛めないのか
あるいは飲み込めないのだろうか、とにかく上手く食べられなくなってきて、
この数日で量は極端に減ったし食べられるものも限られた。
今朝は睡眠薬の服用時間が昨夜ずれたとかで朝食時間にまだ睡眠中だったそうで、
私が覗いた時間にまだ朝食が置いてあったため、漸く起きた父に
私が朝食を介助したのだけど、
歯は父の手を借りて何とかはめて、小さく千切ったパンにジャムをつけたものを口に運べば
なんとか食べている、ようだった。時間はかかったが。しかし
「のむヨーグルト」は半分で要らない、と。
昼に介助した母によると「舌を巻いていて」食事どころではなく、
呼吸も苦しそうだったという。
そして夜、私が持参したジュースはいつもどおりストローで飲んだものの、
いざ食事となるといちおう歯を入れてみたものの、お粥は噛むが喜ばず、
昨日夜までは好んで食べていたヨーグルトは受け付けず、
歯をきちんとはめてくれなくてパカパカと邪魔そうで用を成さなかったのではずさせた。
そしてかろうじてカスタードプリンは比較的積極的に「あーん」と口をあけて
噛んで嚥下していた。
それでもう要らないかもと思ったが
病院給食の献立にあったカボチャの炊いたのがほっくりしていたので
「アカンやろな」と思いつつも柔らかく潰して一口入れてみて「食べる?」と問うと
うなずき、
結局この小鉢のカボチャを潰してスプーンで運べば、ほぼ全てきちんと飲み込んだ。

食後、口をゆすがせようといろいろやってみたが、
今朝まではどうにか出来ていた「うがい」の仕方がもう全く出来なくなっており、
なんとか水を口に含ませ、それを飲み下したにしてもどうにか口の中がキレイになればよし、と、
ひと段落つけて片付けに取り掛かり始めた頃だ。

目をくるりと見開いたと思うと上を向いていて、
おかしな挙動をすると思ったがもしや息が止まるのかという直後、くしゃみを2回。
ああ何だ鼻がこそばゆかったのかとまた片付けにかかろうとし、更にくしゃみ。
鼻がグズついてるふうにも見えないんだけど、と思っていたところ、
目を半開き・半覚醒状態、に、見える父を通りすがりに一目見た看護師さんが
「息がとまってません?」と。

当直医が呼ばれ、看護師とヘルパーさんたちが何人もでかかって
心臓マッサージと声かけの蘇生作業。家に居た母を電話で呼び、
その後ほどなくフーッと息を吹き返す様子を見せた。
その間、10分くらいだったのだろうか。母が自転車で到着する頃には
当直医の判断は「まあ、安定するでしょう」ということになっていた。

様子見の後、CT検査もされたが「目に見える異状は今のところ無い」。ただし、
症状から考えて恐らく脳からきてるものだろうし、
今後意識はどの程度まで回復するかはもちろん分からない。
まして元々末期の肝臓癌患者であるので、万一の事態の可能性は常にある、と
今日の先生は主治医ではなく当直の先生だったわけだがしっかり診てもらえたものと思う。
暫く様子だけ横で見て、家に帰って来た。

母が弟に電話したら「悪いんやったらなんでもっと早よ言わんねん」と
ぶつくさ怒ってたらしい。
前からじゅうぶん悪かったし、今の容態になったのは今日の話なんだから、
そんなん知らんがな。
そして来なくてもいいのに土曜にまた来るという。まあいいんだけど。

喪服・黒いバッグ・黒いストッキング、までは昨日までに私も用意してある。
さっき遅ればせながらの衣替えを済ませて黒のコートも
「ま、コレで」と引っ張り出した。
(でも裾がほつれたままなので、かがらないと着られない)

父さん、用意は万全、いつでもイラッシャイ。
恥はかかせませんからね。


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休みを作ろう [なんちゃって介護]

父の元に毎日通ってるたって朝は様子を見るだけで時にはサボっちゃうし、
夕方の食事介助だって一回あたり2時間足らずものだし、
しかも他に用事があれば母が私が行ってる分も行ってくれるし、
ちーッとも介護なんかじゃ無い、と思う。

ただ、毎日のことなんで、それがしんどいのかねえ。
無理じゃない程度のつもりだったが、土日祝日関係無しの「毎日」というのは、
やっぱりちょっとは無理があるんだろう。

ケイタイの置き忘れやら何やら、しょうもないミスが立て続けの今日この頃。
大事には至ってないが、何もしない日は必要なんかも知らん。

ここは一つ、本当に何もしない休みを作ろう、
休みの日を決めてお父さんとこに行かないし、どこにも行かない日を作るようにしてみよう。
よく気分転換に旅行でも、と言われたりもするものの、
違うんです。
なーんにもしない時間が欲しいの、根がナマケモノなんで。
贅沢なんだろうなあ。子育て主婦の生活を思えば、
今の生活なんて全然無理してる部分なんて無いんだけどなあ。


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介護の定義 [なんちゃって介護]

介護、タイヘンそう」と言われる度、そう言ってくれる人に対して申し訳ない気持ちになる。
はい、スミマセン、私、「介護」してませーん、という意味で。

「介護」の正確な定義がどんなもんだか知らないが、イメージされるところのものは、
・食事には特殊な食器が必要、或いは完全に自力では食事を摂れない
トイレに行くのに介助が必要、或いは完全に他者に下の世話を依存する
入浴時に介助が必要、或いは介助者複数人がかりでないと入浴は不可能
等など、に該当する要介護者に対する介護作業と思われる。

これが施設介護の場合、
先に挙げた「介護作業」は施設の職員が、テキパキこなしてくれる。
よって、病院という施設で介護してもらっているウチの父の場合、
家族の用事は
・本人が寂しがらない程度に付き添う
この一点のみ。

何しろ病気入院に端を発しているもので、完全看護が前提。
元は「毎日見舞いに行く」という程度で済ませてたんだけど、
現在は、昼食と夕食の時間は私か母が必ず付き添っている。

大学病院から今の病院に転院してきて暫くは今の介護病棟ではなく一般の病棟に居た。
一般病棟では病院側のしてくれる「完全看護」はごくごく常識的な、
一般的な「看護」。当たり前なんだけど。
人手も何も小規模な個人病院では、
大学病院と同じ内容の完全看護を期待しちゃイカンとは覚悟していた。
それで入浴回数も格段に違うという話については先にネタにしちゃったけど
清拭の回数も具合も大学病院のときより断然少ないし人によっては手抜きっぽいし、
看護師の中には態度が若年性認知症の父には辛いものになる場面がままあったり、
食事の介助についても「要介護5」とは言ってもベッドまで食事を運んで
自前のお箸やスプーンをセッティングだけして貰えたら父は自分で食べられるのだけど、
その食事に使ったお箸を洗わずにそのまんまケースに戻してあったりしたもので、
身内としては「こ・これは完全には任せておくってわけにも行かない看護?」
という立場に陥った。…任せておきたかったのは山々だが…。
道理で、同室の患者諸氏の奥様方が毎日熱心に病室に張り付いてるなあと
当初は不思議に思ったものさ。完全看護なのに、と。

で、まあ、父もしきりと寂しがるしで、
なし崩し的に昼食と夕食の時間は、私か母がはりつく習慣に。
その後、一般病棟とは全く違う、面倒見の良い介護病棟に移動したにも関わらず、
「食事介助に家族が来る習慣」はそのまま「父が寂しがるから」という理由で残ってしまった。

まあ、時間的に拘束されるのが苦しい、という物理的な事情はさて置けば、
これは言わば、介護のイイとこ取り。
「お父さんを大切にしてるわよーん」て顔して毎日病室に陣取ってればいい。
でもさあ、実際、先に挙げた一連の24時間体制の「介護作業」を
他人様にお任せしてるからこそ、
「お父さんを大切にしてるわよーん」て顔が、何の苦も無くできるわけ。
自宅介護だと、そりゃそれでも大切にせんとアカンけど、
「苦も無く」は私はムリだな。
それでも勿論、今の病院という「ぴったりの施設」が見つからなきゃ、
家に連れ帰る気は満々だったんだけどね。今の病棟に入れて、ほんと、幸い。
と言うより、そんな病棟がウチの街に存在した自体が全国的に見てもすごい確率らしい。
持病のある要介護者を引き受ける施設って、ものすごい少ないという話だから…。

経済的な問題やら立地条件やら、そしてその施設のレベルやら。
いろんな要素の検討が必要な話ではあるけど、
「可能な状態なのであれば、施設介護のほうが絶対に、いい」と、
主張したくなる私だ。
施設に捨て置けってーんじゃないよ、自宅介護に使うエネルギーと時間を、
「楽しい面会」に使うべきだって話。

親戚の誰かに反対されて止む無く自宅介護を続けている、という話を聞くにつけ、
そこの親族会議に乗り込みたい衝動に駆られるね。
だって、この場合の「誰か」って大抵、
実際の介護には手を貸さない、遠方の誰かだったりするんだよ。


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微熱の憂鬱 [なんちゃって介護]

父が大学病院から今の個人病院に転院してきて何が辛かったかって、
入浴回数がもう、悲愴なまでに少なくなったこと。

自分で入浴できる人はまた別なんだけど、父のように「要介護5」ともなると
(生活全般にわたって、全面的な介助が必要。介護度は5が最高。)
介助者2~3人がかりの大仕事になるんで、
前に入っていた大学病院でも週に一回だった。
と言っても、週一回なら私ら家族も患者本人も不満も何も感じてなかった上に、
その合間に清拭やら足湯やらイロイロしてもらってたんだけど、
今の病院に転院してきた時に何気なく尋ねたら、なーんと、「月1回…かしらぁ?」と。
正直、返答に詰まったが、
まあ経費も人手も有り余っている設備バッチリの大学病院と、
こうした要介護の老人たちを引き受けて凌ぎを削る個人病院とが
同じようには行かないのは仕方ないもんねえ、ってことなんである。

そしてその普通病棟から今の介護病棟に移動することになったとき、
前の病棟の人たちがイの一番に口をそろえて、
「よかったね、あそこはお風呂に週に2回入れるよ!」と。
ああ、この人たちも気に病んでいてくれてたのね。月一回じゃねえ。
しかも、父の容態が悪いからって、入浴の順番いっつも飛ばされて、
4ヶ月居たのにお風呂入れてもらったの、1回きりだったしねーえ。

ただでさえ要介護者らにとって入浴というのは
刺激の少ない寝たきり生活で唯一のイベントなのだけど、
父にとっては更に「特別」な楽しみと言っても良い。
父は全くキレイ好きな人では無いが元々お風呂が大好きで、
元気な時分、家に居る日で入浴を欠かした日など、一日も無いと思う。
カラスの行水派なのだが、とにかく、お湯に浸かるのが大好き。
だから介助者3人がかりで洗髪から髭剃りまでやってもらえる今の入浴は、
案外、本人は元気な時の入浴より気に入ってるかも知らん、とさえ思う。

で、今の病棟に来てからは比較的病状の落ち着いている父は
毎週二回の入浴を順調に楽しんできたのだが、
先日、高熱を出した。
入浴日の朝までには微熱程度に収まっていたのだが、
「大事をとって」入浴中止されてしまった。
週に2回が1回になるだけとは言え、あのときの父の不満そうな顔。

そしてその1週間程後の入浴日の朝、
私がいつものように朝刊を届けに寄ると、またも微熱が。
でもヘルパーさんたちが「お風呂行きますよー」と連れてってくれるのを、私は見送った。
が、しかし。その後、入浴直前にダメ出しされて、入浴中止されたんだそうだ。
一旦は「このくらいの微熱ならOK」となったのが、
誰か慎重派の方にみつかって中止になっちゃった、というのが真相らしい。
父のガッカリしたことったら。しかもタダの微熱で、夕方には平熱に下がってたし。

微熱程度なら風呂に入れてやってください、というのがこちらの気持ち。
そんな程度で「体調悪い」ったって、元々が何しろ、掛け値無しの病人なんで。
もちろん「病院側」としちゃ、万一の時に「手落ち」と解釈される恐れのある冒険は
避けたいのは分かってる。そこを何とか、と私は言いたい。
風呂に浸かったぐらいで終わる命なら、どう転んだってすぐ終わる。
どうせ終わる命なら、
「ああ、もう一度、風呂に入りたかった」と思いながらサヨナラするのと、
「ああ、ええ湯やった」と思いながらサヨナラするのと。
私は断然、「ええ湯やった」派だ。
頼むよ、風呂入れてやってよ、本人が入りたい時は。
万一のことなんかあったって、恨み言なんか絶対言わない。必要なら念書、作るよ。

父の本音がどっちかなんて、今の私には分からない。
分からんことなんて、知ったこっちゃ無い。
「ええ湯やった」派に介護される身として全うしてもらうしか無いんで、
ヘルパーさん、今度は見つからないように、コッソリお願いね、

ってわけには行かないのが、今の医療現場における「生活の質」の、
限界ってことだろうなあ。


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建て前でなく。 [なんちゃって介護]

夕方、いつもどおりに病院へ行き父の病室への階段を上っていると、踊り場に
Qさんの奥さんが居た。Qさんというのは父が今の病院に転院してきた当初、同室だった方。
「そろそろ通る頃だと思って」と。
私が自転車で乗り付けて正面玄関に入るところを病室の窓から見ていたらしい。

Qさんは自宅で突然倒れて救急車で病院にかつぎこまれて以来、
自分の意思で動かせるのは首から上だけで、言葉も不自由だ。
奥さんはそのQさんの付き添いに毎日電車を乗り継いで片道1時間かけて通っている。
入れ替わりの激しい病院では今やヌシとも呼べる長期入院患者であるが、
ヌシらしい発言の一切無いおっとりした性格の奥さんで、
父が病棟を変わってからも時々父を見舞ってくれ、逆に私や母が見舞いに寄ることもあった。
ご主人の様子が最近弱ってきているのは知っていたが、
「もうアカンらしいんで…挨拶できなかったらと思って」と。

尤も「もうアカン」は、本当はうちの父のが早かった。
それから3ヵ月を経た今も父が入院患者としては血色もよく食欲もあるのは、
決して「アカン」が誤診だったわけでも何でもなく
(そもそも大学病院でサジを投げられて転院してきているのだから)、
C型肝炎さえ無ければ元々丈夫な人なのだとか、
腰痛と痴呆によるリハビリ拒否の末に廃用症候群の典型的症状で歩けなくなったため、
寝たきりに近い生活を送ることが肝臓への負担を皆無に近いようにしているのだろうとか、
何より本人がたとえ蜘蛛の糸にしがみついているだけの命であっても
それで充分に生きていると満足しているタイプの人であるのだとか、
全て推測ではあるけど、
いろいろな要因が重なった結果の偶然に過ぎない。

この数日はうちの父も高熱を出し、病院側が検査だ回診だとひととおり騒いでくださっているが、
しかし患者本人が至って平気である以上は、
私も母も気分的には居直って普段どおりの付き添いに徹している。
結局のところ今回の高熱に関しては検査結果も何も、「原因は分からん」、
つまり風邪?で落ち着いているが。いちいちジタバタしてられん。
「遣り残した」とジタバタしない程度に普段から父に世話を焼いている。
今までにも何度も「もうアカン」があった末の、知恵だ。

つい1ヵ月程前にもやはり元同室だった方が去っている。
15年の闘病と自宅介護を経た末での別れだったと聞くが、
奥さんも娘さんも別れを心から悲しんでいた。

Qさんご夫妻の今の生活は2年と少し。奥さんは自分が体調を崩した時期以外は
毎日毎日、ご主人の元に通うことを生活の中心として過ごしてきた。
自宅での介護はおろか外泊さえ様々な理由から避けての入院生活。
病院なので「完全看護」ではあるが、
食事の付き添い他を「してあげたくて」奥さんが通う。代わりを務める身内は他に無いという。
だから奥さんには日曜も祝日も病欠も無い。
こんな生活でも、自宅での介護よりは遥かに身体も精神もラクなのだ。
そして「長生きしてくださいね」と言う。「もうアカン」に涙を流す。

患者の家族が「今の生活」を終わらせたいという思いと、
「生きていてください」という思いと。

きれいごとで済ませるためにも、私は介護は出来る限りプロの手に任せたいと思う。
もちろんそれは、任せるに足るレベルの介護のプロ(の、働く施設)に恵まれてこそ、
の話なのだけど。


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認知症のひと [なんちゃって介護]

父が今居る病棟の患者は単に疾病があるだけでなく、
多くはレベルの差はあれ身体が不自由で、そして父と同じく痴呆――
「認知症」を併発している。

で、要介護者をプロの手に預けるのには私は全然反対しないんだけど
(うちだって入院してるくらいなんだから)
預けたっきりにしてしまうお身内が少なくない。それがつらい。
いろいろご事情はお有りだろうが、もっと顔を出してあげて欲しいと思う。
あるおじいさんは、体調が悪くて全く食欲を見せず、
心配したヘルパーさんが横について諭してもいっこうに食が進まなかった。
そんな時期のある日、娘さんとお孫さんらしき面会人があり、
その日の夜ごはんは「食べます、ぜんぶ、食べます」と、
ゆるゆると笑顔で平らげた。
あの笑顔を私はあの面会者らに見せたい。会いにきて、触れてくれ。
それがあなた方の仕事なの。あなた方にしかできないの。もっと何度も来てあげてよ。
プロの手に介護を委ねたら、身内の仕事は心のケアだけだよ。それぐらい何とかしようよ。
そりゃご事情はおありだろう。それでも、ほんとうに何ともできないの?
一人暮らしの老親や祖父母を思いやるよりも更に深く、
療養施設にいる人にも関心を向けて欲しいと思う。
ことに、認知症の人々は自分の思いも意志も自力では発せない。
だから彼らの側からあなた方に何かを願ったり語りかけたりは、できない。
あなた方から語りかけられるのだけをただ待っている。
待っている人を、忘れてもいいと思うだろうか?思わないなら、
やはり何とかしないといけない。
もうこれはあなた方の芯の「人間愛」の問題だ。


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